March 20, 2021

冒険する人、慎重な人。

 リスクの認識には本能的に個人差があって、それは動物としてのヒトの生き残りに意味があったのだと思う。神経質で怖がりなタイプは生活の維持や子育てに有利だったはずだし、冒険的で怖いのも知らずなタイプは生活圏の拡大や新しい食料の獲得に貢献したはず。だから今でも、冒険的なタイプから慎重なタイプまで、人のリスクの認識には幅があるんだろうね。

 しかし動物としてのヒトは大きく進歩して、知能を駆使し自然を分析し理解する種となり、かなりのところまで科学的、定量的にリスクを評価できるようになりました。社会全体として、人類として、より有利なリスクの取り方ができるようになったはずです。

 そうすると、科学的、合理的なリスクの取り方が、個々人の直感に反することも出てくる。合理的に考えれば安全なんだけど安心できない、みたいなね。

 みんなの利益、よりよい社会のためには直感に反することでも乗り越えていく必要があるでしょう。いつまでも「お気持ち」優先ではいけないし、そこにリスクコミュニケーションが期待され、マスコミの役割が重要になるはずなんだけどな。

 とはいえ、マスコミもボランティアじゃ維持できないし、収益を考えなくちゃならない。収益考えたら娯楽、お気持ち大事だし、難しいね。

March 14, 2021

2011年3月11日、僕は在留邦人でした。


 あの日僕は南アからロンドンに移動していて、ヨハネスバークの空港のテレビで津波のニュースを見た見ず知らずの人たちから「お前は日本人か?大丈夫か?」とたくさん声をかけられた。

 ロンドンのホテルで受付のお兄さんが、普段は有料のインターネット接続を無料にしてくれて「これで日本のニュースを見れるよ」と。

 ロンドンの事務所での用務を済ませて、あとはホテルの部屋でネットばかり見てた。「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と日本語で書かれた英字紙が届けられた。

 素直にその気持ちがありがたかった。

 僕の親戚縁者は九州に集中してる。当時の同僚の日本人もなぜか西日本出身者ばかりで、生命財産に直接被害を受けた人が周りにおらず、当事者感覚が薄いと言われればそうかもしれない。

 それでも、何もできず、何もする気にならず、ただただ気を揉んでいる間に時間は過ぎていった。

 2011年3月11日、僕はTwitterで一言だけツイート投稿している。

 「祈るしかない。」

March 07, 2021

10回目の3月11日を前に。


 はっきりした四季の移り変わりで時の流れを五感で覚える。

花が咲き、花が散るのを見て、何事もとどまることなく移りゆくことを知る。

時には大雨、大風、そして地震、また火山の噴火に襲われ、変わらないと思っていたものも果敢なく失われることを思い知らされる。

形あるものはいつかは壊れることが前提。永遠の時に耐える建物ではなく、木と紙の家を建てた人々。

それなりの月日が経つと社ごと建て替えてしまうことをしきたりとして、式年遷宮を行うお宮は伊勢神宮だけではない。天皇の代替わりという国の一大儀式であるはずの大嘗祭をその時のためだけに建てたお社で執り行い、式が終わると解体してしまう。

(そんな国に、世界でもっとも古い木造建築が現存し、百年どころか数百年、中には千年の歴史を誇る会社組織が多数存在しているのが逆説的でおもしろいのだけど。)

むしろはかなさを内に取り込み、時々に万物の営みを愛で、嘆き、喜びも悲しみもただそのままに受け止める。その心持ちこそ「もののあはれ」なのかなと。

そして僕たちは、明日も生きていく。

*   *   *

東日本大震災10年の節目。